ここ信州は海なし県、そして信州の海と言われているのが新潟、とくに上越の海だ。
過日、子供達一家が上越の海に遊びに行ってきた。
私は何を思ったか、え?上越に行くの・・新潟って上越・中越・下越ってあるよね。ここ信州に近いのは下越じゃなかったかと今更ながらのとぼけた質問を妻に。妻は今更何を言っているのという顔をしている。そう、もう何年も遊びに行っていなかったせいか頭の中で順番が逆転していたのだ。てっきり地図の上(北)の方から上越・中越・下越の順と思ってしまっていた(^^;
実際は地図の下の方から上越(みどり)中越(オレンジ系)下越(ブルー)となる。
そこで本当に今更ながら気になった、何で下が上なんだろうと。
気になってググるとすぐに判明、同じような疑問を持つ人も少なくないようだ。ようは
昔天皇がいた京都に近い方が上と使われていたとのこと。理由がわかったのは良かったが、どうも最近もの忘れがすすんでいるようだ(^^;
新潟県の旧国名は越後国ですが、これらの旧国名は古代律令体制下で定められたものです。律令制下にあって地域の起点となるのは天皇の都城で、現在の京都市になります。そのため上・下で表現される地域区分は京都に近い側が上、遠い側が下と使われたようです。(前、後も同様。例えば、北陸の地域名が「越」で、京都に近い側から越前・越中・越後とされた。)
ちなみにここ信州は北信・東信・中信・南信に分かれ、日常の天気予報にも使われている。ま、他県にも同様の地域分けをしているところは多いと思う。
この区分けをみていてふと疑問が湧く方は鋭い!!!
そう北・東・南があって何故西はないのか。中信とされているところは西信でもよくないかという疑問だ。調べてみると色々な説があるようで確かなことはわからないものの、中信に位置する昔々の松本市の方々が長野市(県庁所在地)に対抗し中信となった説や昔々は西に位置するエリアが信州から隣県に統合されたというような説もあった。
もっとも東西南北がそろわないのはそう珍しいことではなくて、北海道もここ信州と同じような区分けになっている。
今更ながらの話ではあるけれど、何かちょっとした夏休みの宿題をやったような気になったアラ古希親父でした(^^; 小学生の夏休みの自由研究になるかも。
細かなことが気になる親父 記