細かなことが気になる親父の備忘録

インスタントラーメン袋と日常で気になった細かなことを書き留めていきます。

どう終末を迎えるか。 正しいか正しくないかより、自分がなるほどと思える言葉を探す。

これまで葬儀準備でわかったドラパパ的重要ポイントをpart2までご紹介してきたが、
むしろ本日の記事がまず最初にして最重要なポイントかもしれない。

そもそも何故葬儀準備を始めたかといえば、老親の終末に向き合う自分の心が決まったからだ。それぞれの家庭事情もあるでしょうし思想信条も色々。万人向けの正答がない以上、自分の老親の終末にどう向き合うかは自分で決めるしかない。医者や施設の方やその他大勢の方のご意見は、時に心を惑わす。

現在施設(特養)にいる老親は、90歳を優に超えていて元気に過ごしていた。ところが昨年の暮れから嘔吐するようになり入院した。退院後は一日一食、水も500mlに制限され、利尿剤を服用していたが食事も水の摂取も徐々にままならなくなり、再度の入院時は、脱水状態となりほぼ寝たきりとなっていた。

いよいよかと腹をくくったものの、特養では医療行為はできないので、また脱水症状となった時に再度入院させるべきか悩むことになる。医者や施設側は、いつでも良いとは言ってくれているが何回もそれを繰り返すのはいかがなものかと考えてしまう。それが本人にとっても良いことなのだろうかと・・。

ところが退院して施設に戻り3日も経たずに再度入院となってしまった。また脱水だ。
安らかな最後を迎えて欲しい気持ちは変わらないものの、医療行為をやめることへの心の整理というか踏ん切りがつかずにいた。そんな時に出会ったのが、石飛幸三先生(世田谷区立特別養護老人ホーム・芦花ホーム常勤医)のコラムでの言葉だった。

人は「食べないから死ぬ」のではなく、「死ぬのだからもう食べない」のだ

目から鱗だった。私の心が決まった瞬間だった。
詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。

そしてさらに私の心を補強してくれたのが、介護医療コラムにあったこんな言葉だ。

脱水が進行すると、意識状態がもうろうとなっていきます。ご家族としては患者さんがそのような状態だと苦しんでいるように見えますが、実は患者さんからすると少しもうろうとなっている方が、苦痛や死への恐怖を感じにくくなっていると考えられています。

詳しくはこちらの記事をご覧いただきたい。

冒頭にも書いたとおり、老親の終末にどう向き合うかに正答はないでしょう。
ドラパパはこれらの言葉に出会い、老親の最後の退院を決め(もう入院しない)、施設での看取りを決断しました。
今日の記事は、そんなドラパパの心の備忘録です。同じようなモヤモヤを抱えている方の参考になれば幸いです。

細かなことが気になる親父 記