久し振りに上杉謙信と武田信玄の戦いの地、川中島古戦場史跡公園を訪ねた。
ところが何かが変わったと感じる。なんだろうと見回しながら昔の写真をスマホから探した。これは2年半前、古き友人が遠路よりきてくれた時に撮った写真で、後ろに写っているのは佐久間象山の像である。
そうだ・・像が無くなっているんだ。
調べていたら、友人と写真を撮った翌月に松代小学校に移設されたのことだった。
移設先の写真はこちらのブログから拝借。
私も以前から、なぜ佐久間象山像が時代も違うこの川中島合戦の地にあるのか不思議だったが、長野の偉人でもあるのでそれ以上は考えないでいた。ま、私以外にもそう思っていた人が多かったのか、再整備の中で所縁の地に移転となったようである。
今回ここまでの記事の予定だったが、調べていて気になったことが出てきた。
佐久間象山・・皆さまは何と呼んでいますか?
一般的には「さくましょうざん」のようですね。でも私も含め長野県人の多くは
「さくまぞうざん」と呼んでいます。
小学校時代に繰り返し歌わされた県歌「信濃の国」では「ぞうざん」と呼ばれていて、そのため長野では「ぞうざん」のほうがしっくりくるのだと思います。また、象山神社や象山記念館もみな「ぞうざん」と呼びます。
「しょうざん」か「ぞうざん」か?調べてみるとちょっと奥が深そうでした。参考にさせていただいたこちらの記事によれば、佐久間象山自身は「しょうざん」と呼ばせたかったようです。でもなぜか県下では「ぞうざん」が定着したようです。
これだけでも小論文のテーマになりそうですが、歴史にも疎い私にはこれ以上は消化不良になること間違いないのでこの辺でやめておきます。夏休みの自由研究のテーマにしても面白い?かもしれませんね。 古戦場跡は長野ICからすぐにあります。
細かなことが気になる親父 記