9月29日は中秋の名月ということで、結構ニュースでも取り上げられていた。
しかも中秋の名月が満月となるのは3年連続で次は2030年だとも言っていた。
そんなニュースを見ていて幾つかの疑問が湧いてきた。ただ調べていていると底なし沼に踏み込んでしまった感がある。そんなことで名月からは日も経ってしまったものの、ドラパパの思考整理として気になったことを書き留めておきたい。
まず・・中秋の名月とは?
2023年の中秋の名月は、9月29日です。「中秋の名月」とは、太陰太陽暦の8月15日の夜に見える月のことを指します。中秋の名月をめでる習慣は、平安時代に中国から伝わったと言われています。 国立天文体
とあるのですが・・・
太陰太陽暦(いわゆる旧暦)って?
現在私達が使っている暦(グレゴリオ暦)は、太陽の動きをもとにして作られているため、「太陽暦」と呼ばれます。一方、太陽暦が明治6年に採用される以前の日本では、月の満ち欠けをもとに、季節をあらわす太陽の動きを加味して作られた「太陰太陽暦」が使われていました。一口に太陰太陽暦といっても、歴史の中ではたくさんの暦法(計算の規則)が使われてきましたが、太陽暦への改暦の直前に使われていた「天保暦」と呼ばれる暦法のことを、一般には「旧暦」と呼んでいます。 国立天文体
http:// https://longlife-items.blogspot.com/2012/10/blog-post_5.html?m=1
旧暦って誰が決めているのか?
さて現在日本でいわゆる「旧暦」として使われているは公的には誰も管理していない「私暦」でしかありません。では誰がこの暦の日付を決定しているのかというと・・ 「私暦」ですから、勝手に作っています。が答えです。こよみのページでも勝手に計算して表示しています。そんなことで大丈夫かと云われそうですが、まあ何とか大丈夫。理由はいわ ゆる旧暦には、「天保暦」というお手本があって、その計算方法が分かって いますから、この計算方法を守ってきちんと計算すれば、答えが大きく異な るということはほとんどありません。 こよみのページより
http://koyomi8.com/doc/mlwa/201004170.html
国としての管理はされていないが、天保暦のお手本がありその計算方法を使っているらしい。ちなみに天保は 1830-1844年になる。
しかしこんなページもみつけた。2010年までは海上保安庁が発表していたらしい。
皆さんが旧暦と言ってるものは2010年まで発表されていた海上保安庁方式のことです。本来は旧暦は明治5年まで使われていた天保暦(てんぽうれき)のことですが,日本標準時を採用していないので,現代の天文学になじまないです。海上保安庁方式は日本標準時を採用する以外は天保暦と同じです。天保暦は京都での太陽の南中を正午とする真太陽時を用います。南中は江戸時代でも観測が可能ですが,原子時計が発達した今日では逆に複雑になります。
https://yamakatsusan.web.fc2.com/kyuureki_tsukurikata.html
たぶん公の回答としてはこちらになるのだろう
さて現在、日本で「公式な」太陰太陽暦の計算というものはおこなわれていません。そのため国立天文台でも、「今日は旧暦の何日か?」などの、太陰太陽暦に関するお問い合わせには、はっきりとしたお答えができないことがありますことをご理解ください。(太陰太陽暦が公式の暦として使われていた時代については、当時の暦とグレゴリオ暦の対応などを、記録に基づいてお答えすることができます。国立天文台
中秋って?
「仲秋の名月」の表現は「旧暦8月の月」を指し、十五夜の月に限定しない。「仲秋」は、秋季を初秋(旧暦7月)・仲秋(同8月)・晩秋(同9月)の3区分した場合の、旧暦8月全体を指す。「中秋」は「秋の中日(=旧暦8月15日)」のみを指す。 ウィキペディア
こちらも詳しい
そうか、仲秋の名月という呼び方もあるんだ。
暦の上の暦とは?
この「暦の上では」という表現がよく使われますが、この暦って何のことかご存じですか?ここでいう暦とは、旧暦のころから使われていた二十四節気(にじゅうしせっき)のことです。これは太陽暦の1年を24等分したもので、2月上旬の「立春」から始まり、1月下旬の「大寒」で終わります。 暦の上とは 農林水産省
https://www.facebook.com/photo/?fbid=2327663067318973&set=a.368348339917132
ん、旧暦の他に二十四節気まででてきた。そうか旧暦とは直接は対比していなのか(^^;
春分や秋分の日は旧暦とは違うんだ。そろそろ頭が焼きそばになってきた(^^;
では、そもそも今の西暦はいつから導入されたのか?
明治5年(1872)11月9日、太陰暦を廃し、太陽暦を採用することの詔書が発せられ、太政官布告第337号により公布されました。 1年を365日とし、それを12月に分け、4年毎に閏年をおくこと、1日を24時間とすること、旧暦の明治5年12月3日を新暦の明治6年1月1日とすること、が定められました。 国立公文書より
12月3日で1872年が終わり翌日が新年1月ⅰ日となった?この年は除夜の鐘はどうしたんだろうと?は尽きない。
また調べていると旧暦の作成にあたっては2033年問題というのがあるそうだ。私的にはもう満腹で頭もついていきそうもないのでこの辺で終わりたい。興味のある方は以下の二つをご参照ください。
https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/topics/html/topics2014.html 2033年問題
【閏月一覧】旧暦の閏月の意味と置き方の規則とは?2023年の閏月はいつ?旧暦2033年問題をわかりやすく解説 - 日本文化研究ブログ - Japan Culture Lab
長々書いてしまいました(殆ど引用ですけど)。もし参考になることがあれば幸いです。
細かなことが気になる親父 記